「世界がぜんたい幸福にならないうちは
個人の幸福はあり得ない」
(宮沢賢治)
人はこのようにあるときに人間となるのです。
人はこのことを忘れるときに人間でなくなるのです。
尾畑 文正
Go To トラベルというのが始まった。
このあとには
Go To Eat てのがあるらしい。
それを利用して
旅をしたり
食事に行ったり
それで
観光地として経済が成り立っている方や
飲食店が立ち直るのはべつにモンクはない。
ただ
どこを向いて政治をしているのかな?
誰に手を差し伸べようとしているのかな?
と、思えてしまう。
一番いま困っている人には
どちらも関係ないよね。
明日どころか
今日のメシが食えるかどうか
もう数日水しか飲んでいない
そんな人が多くいる
その人達は
旅なんかできないし
何万円も出して
お食事券なんて買えやしない。
九州地方の大雨の災害で苦しんでいる方々もいる。
一番、困っている人々にとってまったく関係がない政策だ。
やるなとは言わない。
でもいまやることではない。
旅をしたけりゃすればいいし
お食事行きたきゃ行けばいい。
オレも行けるなら行く。
旅もしたい。
それはそれだ。
まずは明日をもしれぬ生活をしている人を
救うことを考えるのが政治の役割だ。
生活保護の推進とか
ある程度の期間10万円一律給付を行うとか
保険証がなくとも医療費保証をするとか
消費税の引き下げ(撤廃)とか
どうしたら
皆が一日も早く笑顔になれるかを考えてもらいたい
真剣に。
そのためには
まずは
早急に国会を開くことが必要だ。
てか、国会が閉幕したこと自体がおかしいのだが。
場当たり的に
一部の政治家と企業が結託して
儲けだけを考えて出すような政治ではなく
ふつうの政治に戻すことが大事だな。
昨日
3月を最後に開催されていなかった
定例の会議が4ヶ月ぶりに開かれた。
笑顔がないんだよね。
冗談のひとつも出せない雰囲気。
みんな
なんか息苦しそうだった。
その会議は
毎月開かれ
先輩後輩を超えて
皆で話し合い
知恵を出し合い
事業や会の方針をざっくばらんに話せる会議だ。
だから
真面目くさった話をしているときも
これでいいのか!!と苦言を呈する人がいるときも
どこかゆとりがあるというか
煮詰まりすぎない、そんな会議だ。
そんな会議でも
昨日は
みな
どこか息苦しくいた。
余裕が感じられなかった、まったく。
新型コロナウィルス禍の影響ももちろんあるが
今のこの社会が
本来ならば皆で助け合うべき今なのに
ますます格差の広がりを感じ
互いに敵化し見張り合い
ギスギスしてしまっているからだと思う。
新型コロナウィルスに罹患したら悪!
そんな空気と差別心。
コロナウィルスそのもへの恐怖以上に
罹患してしまった時の社会的立場への恐怖のほうが勝っているように感じる。
政府や東京都の政策は
国民、都民に安心を与えるどころか
分断を扇動しているのが実情だ。
個ができることはたかが知れている。
でもひとりひとりが
自分よりも弱いと思える誰かに
何かをしなければならないとは言わない
そういう人がいるという意識を持つ
その人が救われるような社会を望む
そんなおもいが集れば変わる。
弱者を叩くのは自分がいる場所を息苦しくしているだけだ。
それが今の状況だ。
隣にコロナウィルスに罹患した人がいたら
毛嫌いしてハブくような思いを持たず
その人が早く良くなることを思えばいい。
その人の家族や仲間が無事であればいいな、と思えばいい。
そんなことでも変わる。
なにが?
自分自身の心のゆとり。
自分に優しくなれる。
渋い顔ではなくて
柔らかい顔になれる。
コロナだけではない。
弱者が居るんだということを知っているだけで
格差が少しずつでもなくなることを望めば
その人の笑顔を見たいと思うだけで変わる。
甘い?
甘くてけっこう。
仕事バリバリの某新聞社の記者に
昔、「社会とは!」って説教されたことがあるが
そいつが言っていた正しい社会人が創る社会は
まさに今ある他者排斥、弱者撃退
笑っているようなやつが作る社会は平和ボケ社会
それが彼が望んでいた正しい社会。
こんなクソみたいな社会を漫然と生きるのであるより
甘かろうが辛かろうが
このクソ社会をどうしたらまともにできるのか
それを考えることくらいはしていたい。
ともかく
メンチ切り合いながら生きるよか