「もし」の話だけど、米軍がウクライナに救助活動で行くとなって、
「うちら、戦争じゃなくて救助活動で行くからさ、武器は持たないで手ぶらで。でもさ、万が一ってことがあっから、日本から武器持って後方支援できてね。でさでさ、もし、うちらが攻められそうになったら、おたくらが武器使ってうちらを守ってね。あ、あと、これまた万が一の上の万が一なんだけどさ、使うことがあるかもしれないから核ミサイル、うっとこの武器倉庫から持ってきておいて。よろしくねぇ〜」
って、アメリカに言われたら、それやることになるのよね、日本国民の多くが望んだ安全保障法(戦争法)のお陰で。
でもってさ、ミサイルとか爆弾とかは使わないまでも、万が一、ロシアの兵士を一人でも撃ち殺したり、刺殺したら、日本はロシアとの戦争に突入するわけだな。
安保法の法制化で、いよいよやばくなったのがわかる日も遠くないかもよ。
改憲だ!憲法九条を改正だ!
と、ここぞとばかりに叫びだした議員が出てきているようだ。
知っているところだと、隣の区の自民の議員とか。
そんなに武器を持てるのが、戦争に参加できるのが嬉しいのか?
だったらテメェが傭兵にでもなって、勝手に戦地に行ってこい!なんて、どうしてもこんな乱暴な言葉が頭に浮かんでしまう。
「戦争反対!」とか口にしても意味がない!とか言う文化人だか、知識人だか、有識者だか、オピニオンリーダーだか知らないが、頭のよろしい方が述べてらっしゃるが、人間は戦争をやめられない、殺人をやめられない、武器を手放すことすらできない、それどころか、武器を増強すれば戦争がなくなると思いこんでいるバカの集団なんだな。
殺人はよろしくない!戦争反対!人のものを盗んじゃだめ!差別しちゃだめ!イジメはだめ!
そう言い続けなきゃ、ほんと、何をしでかすかわからない生きもんだということくらい、頭がいいなら理解しておけよ!
と、また、他者を誹謗中傷してしまう。
間違いなく、わたしの中に、戦争を、侵略を、良しとする遺伝子が、ものの捉え方が息づいている。
だからこそ、 #戦争反対 #侵略を直ちにやめろ #殺戮をやめろ こんな言葉を言い放ち、自らに言い聞かせていくしかない。