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エキスパートを目指す!

ブログ2020.09.18

本当に知りたいことを改めて考えて頂きたい。
虚栄のための知識、あるいは自分の身を飾るための知識は、いざとなっったらなんの役にも立たない。
人間が作ったことは分からないことはまずあり得ませんが、簡単に知ることが出来そうで厄介なのは、人間の心です。
他人の気持ち勿論そうですが、自分自身のことは一番よく知らなければならないのに一番知ることの困難なことだと思います。

串田孫一

今の日本は
「国」自体が虚栄に走っている。

歴史を改竄することをなんとも思わず
謝罪をすることは厭い
対話をするのではなく
上から目線で相手にしてやる。

国がそんなふうだ、対米以外では。

米国さまには平身低頭だが。

まったく誇れないね。
まったくもって自信がなく
内心ではビクついているのが日本って国。
それを認めたくなくて虚栄を張っているだけ。

それでも10年くらい前までは
市井の民は
「日本人らしいよね」
って、どこかで誇れていた。

街ですれ違う際に道を譲り合ったり
肩が軽くぶつかれば、
相手がヤンキーやヤクザでもなければ
互いに「すみません」が当たり前だった。

最近でもそういう方はいるけど
「え?あなたはヤンキーですか?ヤクザですか?」
と思えるような、普通に睨みつけてくる人が増えた。

自転車で歩道を走ってきた子供を乗せた女性が
歩いていたわたしを抜き去る際にぶつかった。
「チッ!」って、振り向いて睨みつけてきた。
普通のおとなしそうな女性。
ま、見た目で判断はしてはいけないのだが。
「警察呼びましょうか?」
一応、ハンドルがぶつかった腕には軽くだが擦れた傷と打撲痕があったし。
女性はオロオロしだして平身低頭で謝ってきた。

歩道を正面から歩いてきたカップルの男性が睨みつけてくることもある。
どけとばかりに。
きっと、眼と眼があっただけで殴られたり、金よこせと言われたりしたことはないのだろうな、なんて頭に浮かぶ。
うちら高校生くらいの頃は、なるべく道を歩いていたら眼が合わないように細心の注意を払っていたけどな。
そんなくだらないことが思いに浮かび、つい苦笑してしまう。
前から来たデカイのを睨みつけたらニヤついた、やべっ、キモッ、とでも思ったのか、端に2人で避けていく。

人ごとではないけど、海外の互いに腹わって話し合うっという良い自己主張は取り入れず、悪い自己主張のほうを取り入れすぎて、日本のわりと誇れて、海外から来た人々が日本で驚愕した「スミマセン文化」を忘れ過ぎなのではないかなと思う。

欧米ではそんなことでは暮らせない!って言われたことあるけど、そんなことでは企業戦士として勝ち残れない!とかも聞いてことあるけど、本当にそうなのかな?

いや、わたしは企業戦士でもないし、海外で暮らしたこともないのでわからないが。
いうべきことはちゃんという。
でも、その中にも、互いに通じ合おうというものが見えなければ海外であろうが、仕事関係であろうが、殺伐としてうまくいかないと思えるのだが。

ま、とりあえず、普通に街場で生活している以上は、もうすこし考えようぜ、とは思う。

国政を背負っている人間たちの傲慢さのおかげで、日本は海外からますます嫌われ、信用をなくしている中、国民までも同じだと、完全に外から鎖国にされるしかないから。
ノケモン。

よくよく気をつけて自分を見詰めることとは、べつに、卑屈になるということではない。

本当に自信のある人は基本謙虚だ。
誇る必要も、虚栄を張る必要もないから。

譲れないところは一切譲らないという、一見傲慢とも思えてしまう態度を取ることも儘あるが、「あぁ、この人は本当に〇〇に関しては自信があるのだな」と思える人は、根っこは謙虚であり、自分の専門分野以外では素直に「無知なわたし」を引き受けている人が多い。
(どうも合わなくてムカつく嫌いなやつでも、ムカつくし認めたくないけどけどそういう奴がいる。)

で、言えば、わたしたちの共通した専門分野は「人間」である。

だから、その「人間」を専門分野のエキスパートとして自信持ってできるようになるまでは、素直にできなさを受け入れ、出来ることを誇らず、虚栄を恥じ、伝えるべきことは伝える、そんな面倒くさいこともやっていかねばだな、と、猛省中。

自分がなんなのかを知ることが人間の一生を掛けての宿題。

答えを出すのではなく、その問いを持ち続けることが人生を面白くする。

私は「自分の人生にとって、本当に重要なことは何か?」を改めて考えてみました。これはもしかしたら、私がとても必要としていた「リセット」だったのかもしれません。私は、「もしテニスができないなら、どんなことで自分の力を発揮するのか?」と自問自答し、今こそ自分自身の意見を語るときだと思ったのです。

大坂なおみ(『ELLE』特別寄稿より)   

年齢も国も肌の色も性別も貧富も、まったく関係なく、大坂なおみが持ったこの問は、人間みんなの問である。

この「note」でも多くの方がこの問をもちながらご自身の生活を活きてられるのが伺い知れる記事を読ませてもらっている。

別に、そのことを直接言っているわけでもなく、生活や仕事や趣味などの記事や小説なんかにも、その人その人の自問自答が伺い知れる時がある。(←かってに、そうだろうな、って、そうに違いない、って伺って、知っちゃっているだけです😅)

まだまだ知らないことがありすぎるわたしだった。

 

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