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あがく

ブログ2020.11.13

遠くではなく 
ただ目の前の 
一歩を 
見つめる

その一歩は、頂上へ至るための一歩だと思って踏み出す一歩であってはならない。もしその一歩が頂上へ至るための一歩だとすると、その一歩は頂上へ行くための手段とした汚れた一歩になってしまう。
自分の登ってきた道を振り返れば、すぐさま登山口へ転落してしまう。
振り返ることは、どこかで自分を「よく頑張った」と褒めたくなるからだ。

          武田定光

数日前から軽い腰痛がきている。

昨夜は、ぬるめの湯を張り、炭酸入浴剤「BARTH」を投入し、半身浴で徹底的に温め、ストレッチポールで伸ばし、マッサージボールで入念にマッサージをした。

おかげで、だいぶ良くはなってきている。
朝、今日は暖かだったのもあるかもしれないが、「イテテテて!」とならずに起き上がれた。
撮影散歩の際も、歩くのが楽だった、昨日よりは。

ところが昼過ぎから、今度は腰より上部、背中が痛みだした。
腰痛ほど苦労はないが、普通に動けるだけに、動く度に背中の酷い凝りを感じ気持ち悪い。

20年くらい前は、肩こりをほったらかすと、なんか背中が硬いな、を経て、腰痛になるともう大変だった。
背中は鉄板、肩は鉄球状態。
その頃に比べりゃ、大したことはないのだが、やっぱ比べるも何も、今気持ち悪いし痛いのだから、そんな意味のない比べっこはしないでおこう。

上から下に向かって痛みが移動した頃に比べて、歳を取ると下から上へと痛みが移動することもあるようだな。

なかなか興味深い。

腰がいたいので、変な体制でいつもいる。
歩くときもバランスを保とうと変になる。
そのため、背筋や腹筋が衰えてきたので、背中が凝ってしまった、というよりも筋肉痛のようになったのかな?

ともかく、今日もしっかりとストレッチとマッサージをしてから寝よう。

今のわたしの一歩は、この異様なせなかの凝りと腰痛を治すための一歩!
え?それって、結果を求めての一歩じゃん!って?
そうなんだよね。
これで、素人が何も考えないで、ストレッチして、マッサージボールでマッサージなんかして、どこかをかえって痛めちまった瞬間、ストレッチもマッサージをしたことも無駄にしてしまう。
無駄になる、ではなく、無駄にする。
自分が「無駄をした」って無駄にする。
結果を求める一歩の在り方だな。

今日は集まりが有り、みんなで「心はどこにある?」という問題を話しした。
そして答えは出なかった。
心の在り場はわからない、というのが答えと言えば答えだ。
そこで、みんなでの共通の認識は、答えを出すのが大事ではなく、悩むことが大事ということ。
心を探すのも面白いものだ。
あちらこちらに心は散在する。
こんな話をすしているさなかにも、心は勝手気ままにうごめいていた。
無心についても話しした。
無心=無意味・無分別・無理由にある状態てのが、その時わたし自身が感じたところ。
でも、無心って感覚がわからないのでそれが合っているのか間違っているのかもわからない。
ただ、「無心だ!」と気づいたらそれは無心でない証拠だな、というのは全員の共通認識となった。

心の在り処を探すのはとても無駄に思える作業かな?

そんなもん、悩ましいだけでなんの得にもならん?

でもさ、無駄で、意味がないと思えることっていうのは、人間ごときじゃ理解できない大事な気がするんだよな。

無駄でないもんって、しょせんは人間が理解できちゃう程度の、いや、実際は理解できていないのだけれど知った風できちゃう程度のもんでしかないでしょ。

仕事にしても、遊びにしても、意味づけできることなんてその一連の作業の中の一部でしかない。
ほとんどは、それ一つを取り上げれば、無駄と思われるようなことの積み重ねでできている。
そこんとこに本当は大事があるんでないのかな。

よって、今日も無駄なあがきかもしれないがストレッチとマッサージをするし、無駄に悩むし、無駄に生きてやる。

あ。でも、本音は、まったく無駄だと思えていませんよ😅

自分のなす事は、全てが意味があって、無駄がない!と、そんなところでしか生息できないのが情けないけどアタイって奴でやんす。

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