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なんで?は世界を救う。

ブログ2020.11.20

愛よりも理解。
問題行動が出るって、その子が困っているっていうことなんですよ。

         小柳由加里

「なんでそうなるの?」という番組があった。
昔々のこと。
コント55号によるナンセンスコントを主軸にした番組だった。

いや、まぁ、それだけなんだが、ふと思い出しただけで。

なんでそうなるの?で、そこから前に進めずに怒り狂って、自分の裁量に閉じこもって、なんのいいことない、で終わってきたことが多かった気がする。

なんで?
なんで?
なんで?

と、問い詰めてくる友人がいる。
本人は問い詰める気はない。
ただ、なんでそうなるの?と、なるとほっとけないのだ。

その友人の言葉のセンスや物の捉え方、感受性ってやつは素晴しい。

あぁ、こうなりたいもんだ、と思う。

でもわたしには無理そうだ。

その友人と話をしていると、自分の中の矛盾やいい加減さがあらわになることが多い。
なんで?
答えられない。

このとき、必死に説明してわかってもらおうとするわたしと、疑問を疑問のままほっておけない彼の間には奇妙な共感がある気がする。

わかり合っていないから、
なんで?だし、こっちは必死なんだけど。

変にわかり合っているときよりも共感が強い気がする。

で、結局、なんの答えも出ずに終えることもしょっちゅうあるけど、それはそれで互いに「わからない」という答えが出るのでいいのかな。

なんで?は人間ならではの特権だ。

でも、結構多くの人間はそれを適当な答えをみつけて、納得してしまう。
なんで?の終焉。
なんでは続かない。

なんで?は続くよどこまでも♪とはいかない。

だって、疲れちゃうから、普通は。
面倒くさくなっちゃうから。

なんで人は生まれたのだろう。
なんで人は争うのだろう。

なんで?
なんで?
なんで?

疑問は疑問をさらに深めることができる。

理解をしようとすることこそが「愛」だということなのではないかな、小柳由加里さんが感じているのは。

人間の醸し出す「愛」はともすると押し付けであり、相手抜きの自己満足になることがある。
それでは「愛」は伝わらないし、「愛」によって他者を傷つけることもある。
「愛」で傷つけるって、一番怖い気がする。
そこには「正義」しかない。
「わたしは間違っていない」「間違っていようはずがない」
「わたしの愛を受け止められない、理解できないお前が悪い」
そんな「愛」になってやしないか。

そこに「?」を付けてくれるのが「愛より理解」という言葉。

「なんで?」と問い続けること。

自分に対しても、相手がどうしてそうなのかに対しても、「なんで?」を持ち続けること。

理解をする、のではなく、理解をしようと心を運ぶことこそが大切なのだろう。

理解した、ってのは傲慢でしかない。
理解はできない。
諦めではない。
理解しきれないということ。
だから互いに理解しようと心を運ぶことが大切なのだろう。

なんでそ〜なるの?     by 萩本欽一

 
 

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