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わたしは奇跡

ブログ2020.12.11

現代人は無限定な世界に住んでいる。
私は私の使っている道具が何処の何某の作ったものであるかを知らないし、私が據り所にしている報道や知識も何処の何某から出たものであるかを知らない。
すべてがアノニム(無名)のものであるというのみでない。
すべてがアモルフ(無定形)のものである。
かような生活条件のうちに生きるものとして現代人自身も無名な、無定形なものとなり、無性格なものとなっている。

          三木清

いま使っているパソコンが、このキーボードが、キーボードのひとつひとつのキーが、どこの誰によって作られたのかもわからんで、まったくの感謝もなく叩きまくっている。

世界は本当に広くなっている。。。筈なのに、人間様の量見ときたらいよいよ狭くなってきている気がしてならない。

もともと世界は広いし、自分はとてつもなく不可思議な存在なのに、視野狭窄は世界が見えれば見えるほど進んでいく。

よく言われるたとえでは、わたしの先祖は10代遡れば1024人、34代遡れば地球の現在の人口を超える、数字上では。
10代前なんてつい最近、34代前だってほんの1000年くらい前のこと。
そんなんで、どこの誰とも知らない人間が、奇跡的に出会って、子供を産み、ある程度の年齢まで生かされ、また誰かと出会い、子供が。。。
奇跡的だ、わたしは。

いま、「あなたの曽祖父母8人、名前だけでいいので教えて」と言われて、全て答えられる人は多分いないだろう。

時間をやるから調べてきて、と言われても、すべてを調べられる人は意外と少ないのではないかな。
たかだか3代前。
直系はわかる!ではだめ。
直系だけでは、あなたはあなたに成れないし。
以前、わたしの母方の家系図を作ってみる、と、従兄弟が奮起して調べてくれた。

で、びっくりしたのが、わたしから見て祖父母、つまり母の父母まではわかるのだが、祖母と祖父の父母「曾祖父母」はわからなかった。
いや、一人二人はわかったが、全ては無理だった。
東京大空襲で多くの戸籍と言われるものが焼けてしまっていた。
関東大震災もその前にあった。
ほぼ、東京あたりの公の記録は壊滅状態と言っても大げさじゃないんじゃないかな。

それでも、どこの誰かもわからない、なにを生業とし、どんな一生を過ごしたかもわからない、知らないその人が間違いなくわたしにこの生命をくれた。
それ、7人までわかったとしてもダメなんだな。
ひとりでも欠けていたら、わたしはわたしとしてありえない。

いや、もしかしたら、近親相姦で、とかあるかもしれないかもだが、それにしてもA・B・C・Dの人がいたとして、その相手がわかるかって話だ。
いや、わかったからどうってことでもないんだけど。

うまくいえないなぁ。
ま、そんな、自分がまったくわかんないものの力でここに在るってことの凄さかな。

わくわくしない?

だって、血縁だけじゃないしね。

血縁でもう少し言えば、その命を繋いでくれた人は、出会っているんだよね、相手と。最低でも、100人いれば50組のカップルが誕生して、子供を作るまでなんとか、戦争・震災・疫病なんかもあったろうに生き延びて、そのためには多くの食物と成った犠牲があって、なんだかんだ周りの育みがあったんだよね、その人を育てるのに。

でもって、自分に当て嵌めれば、どんだけの命を食べてきたかもわからないし、どれだけの人に知らないうちにも救われてきたかも知らないし、どれだけの人が無事であるよう願ってくれていたかも知らんでここまで生きてきた。
道をぼ〜と歩いて横断していて、もしかしたら普通に直進していたら跳ね飛ばすところ、車の運転手が気が付いて止まってくれたので死なずに済んだ、なんてことももしかしたらあったかもしれない、知らないけど。

わかって、確認できていることなんてごくごく一部なんだろうな。

それくらいたくさんのものに、育まれ、思われ、願われてここに在る。

これは気づいた例。

先日、車の試乗に行ってきた。
どうしても一度運転してみたい車があったから。
で、試乗している間に、そこのディーラーの人がわたしの車を見積もらせてくれ、というので、ま、そこは向こうも商売だし、売るを前提での試乗だろうから、どうぞ、と。
試乗を終えて戻って、帰り際に、
「タイヤ、空気圧が異様に低いのが一本在りますよ。パンパンにしておきましたが、多分パンクしているかもしれますん。時間がなかったので、ゆっくり見れなくてすみません」
と、教えてくれた。
ぎょぎょ!だよね。
焦って、タイヤの交換をいつも頼んでいる店に連絡して、時期も時期なので預けてある冬用のタイヤに換えてもらった。
「釘が刺さってました。抜いて、修理できるくらいだったので、修理もしておきました」
翌日は高速で移動する予定が入っていた。
そのまま乗っていたら、高速道路でバースト、パンクして、大事故に成っていた可能性は大きい。
命拾いした。
マジで感じた。

こんなわかりやすいケースも有るし、まったく知らないうちの救いってのはすごく在ると思う。
乗った電車が、実は前日までは違う車両の予定が、点検で異常を発見して、わたしが乗った車両に交換されたことも在るかもしれない。

どこかの大統領が女房と喧嘩して、むしゃくしゃして「化学兵器の発射ボタン押したろ!」となったのを、「いやいや、そんなことはしちゃダメダメ」と我慢してくれたこともあったかもしれない。

そんな直接的なことだけではなく、地球の裏側から、「日本に平和を」と願っていてくれる、「みんなが笑顔で過ごせますように」と願ってくれている、そんな思いだって、わたしを育んでくれている大事な要因だ。

便利になればなるほど、互いの数字的な距離は縮められる。

この文章を送信すれば、すぐにでも読む読まないはべつに、アメリカでもブラジルでも、よくわかんないけど、たぶん宇宙基地からでも見られる。
すぐそば。

でも、それを使うわたしはますます自我に閉じこもり、鎖国状態。

いよいよ人との距離は広がる一方だ。

それじゃ寂しい。

で、やっぱ思うのは、すんげぇなここにオレとしてあれるって、なんてことを思う方向で考えると、ワクワクそこにしてみると、狭窄した視野が少しだけど開けた気になれる。

それが楽しいんだわ。

100メートルを9秒切って走るって奇跡的かもしれないけど、なにが奇跡かって、オレがオレであること、いまここにあるってこと、それ以上の奇跡はないよね。

 

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