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仲良く喧嘩しな by トムとジェリー

ブログ2021.02.05

危機や不安を感じて集団化が加速するとき、個ではなく全体の意思を忖度して(つまり「勘繰れ」だ)動こうとする。
しかしそんな意思など本来は存在しない。
ユング的に書けば、群れ全体の集合的無意識だ。

            森 達也

昼にカツ丼を食べた。

石神井に酒蔵が営業している、昼は蕎麦、夜は居酒屋という店がある。
そこが、最初の緊急事態宣言が出されてからTake outをはじめた。
で、天丼・カツ丼・親子丼がお持ち帰りができる。

そこのカツ丼のお持ち帰りが好きで、この10ヶ月、たまに買ってくる。
カツと出汁と玉ねぎと卵の割合も丁度いい。

それを食べながら思った。

「うまいとんかつが食いてぇ〜なぁ〜」

って。

いや、先にも述べたが、このカツ丼は非常に好みに近くて、好きなのだ。
でも、それを食べていたら気がついたのだ。
最近、とんかつを食っていない。
とんかつとカツ丼は別物だ。
とんかつはとんかつ屋で食うのが一番だが、カツ丼は蕎麦屋に限る!
とんかつ屋でカツ丼を何回も食べたこともある。
都心で働いていたこともあるので、昼に抜け出して、都内出張の折に、カツ丼が評判のとんかつ屋のカツ丼を食べに行き、それを食べると、必ずと言っていいくらい、行きつけの蕎麦屋のカツ丼が食べたくなった。
その逆に、蕎麦屋でとんかつ定食を食べると、とんかつ屋に行きたくなる。

ほんでもって、石神井近辺には、ここ!というとんかつ屋がない。
自転車乗ってまで、車を走らせてまで、わざわざ行きたいと思える店がないということだ。
何件かはいったことはあるが、それなりに美味しくて、それなりに満足したが、それじゃぁ、また、時間を取って車を出して、コインパーキングに車を停めてまで行きたいか?と言われると、二の足を踏んでしまう。
チェーン系のとんかつ屋でどうかというと、余計に食べたくなってしまう。

だいたいさ、最近、身体に優しい、とか、身体にいい、そんな油で揚げてますってかつやが多いじゃない。

やっぱ、とんかつはラードじゃなきゃ駄目でしょ。
あの、香りとコクがある脂で揚げるから、衣も美味しくて、サクッとしていて、香ばしいんじゃない。

とんかつに健康は求めたくない!

覚悟を決めて食う。
まだ、そうありたい。

そのうち、もうすぐ、ラードなんてもってのほか!
キャノーラ油で、それも極力少なく!
豚も牛も駄目!鶏!それもササミ!
そんな縛りがくるだろうから、それまではちゃんと体に良くないと言われている(そんなことないと思うけどな、おれは。だって、100%ラードを使っていますというとんかつ屋で食べて、胃がもたれたことって、まともな店で食べた時は一度もないし)ラードで揚げた、美味いとんかつを食う。

だいたい、そろそろ健康ブームも考え直さなきゃ駄目でしょ、基準。

確かに、いろんな病気が見つかって、治療法も見つかって、治らないと言われていた病気も治るようになって、成人病予防や成人病の治療、対策も進歩しているおかげなところ、感謝しなきゃなところはたくさんあるよ。

でもさ、健康のためにつまんない人生だった。

健康を保持するために縛りだらけで、緩やかさのない人生だった。

そんなんじゃなぁ、とは思う。

好き放題は良くないにしても、敢えて身体を壊すようなことはよろしくないにしても、身体壊さないために苛つきながら生きるのはなんか違う。

ま、どちらかを選ぶかは、その時時で、個人で選べばいいと思う、本当は。

1億総健康推進派である必要はないでしょ。

健康でないやつは悪!

そんな空気があるのは確かだ。
現に、今回の新型コロナでの差別やらなんやら。
罹患した人間を追い込むような言動、空気、文化。

これって、ちっとも健康じゃないよね。

いや、とんかつをみんなラードにしろ、とか、ラードで揚げたカツ以外はカツじゃねぇ、とかじゃないよ。

たださ、みんながみんな、健康で元気であることが人間の喜びだ!ってのは違う気がする。

健康でなかろうが、病んでいようが、その中で、「あぁ、今日はいい一日だったなぁ」と思える、そんな空気が社会に漂っている方がどれだけ健康的か。

今の日本の空気って、凄く不健康に思えるのはオレだけなのかな。。。

気がつくと、自分もその不健康な空気に感化されていて、逆向きの人間を見ると苛ついたり、許せないような気分になったり、睨みつけたりしている。

すんげぇ体調がアゲアゲな時にそんな気分になると、かえってやばいよね。

「こらっ!」

って、やっちゃっていることあるもん、いい歳こいて。

とんかつ話が、健康ブームへの与太になってしまった😅

ま、俺も健康でありたいとは思うけどね、思っちゃうけどね。

でも、健康の概念は少し変えなきゃな、と自分なりの反省。

死ぬまで長生きでも、死ぬ直前まで元気でも、そのためなら身体も精神も壊しても致し方がないなんて健康を追い求めるようなことはしたくない。

死ぬのは確実だ。

今の世の中で、唯一、万人に与えられた無差別、無分別、平等なものが死だ。

それは、健康であろうが、金を持っていようが、地位が高かろうが、マッチョであろうが、いまは若かかろうが、何を信じていようが、何百回何千日何万回神社仏閣教会に詣でようが、逃れられないし、心配しないでも必ず得ることができる、競わないでもハズレ無しで得られる権利だ。

そんな権利を持っているのだから、あとはそれまでは、どれだけ、「あぁ、今日は体調も最悪だし、金は出ていくだけで入ってこないし、喧嘩にはなるし、めちゃくちゃでクソみたいな一日だったけど、あれだけは、そう、あの瞬間だけは本当に落ち着いてのんびり何も考えないで過ごせたなぁ〜」なんて日を過ごせるかなんだな、今の自分の生き甲斐というか、目標は。

病気は怖いし、掛かりたくないし、できれば体調が良いほうがいいけど、そのために、その恐怖が争いの火種となってはならない。
インフルエンザや風邪でも掛かっているとわかった人間を避けてしまう、そんな自分だから、だからこそ、そういう人を悪意を持って見下すようなことは有ってはならないと言い聞かせる。
じゃないと、危ないと思うんだな、簡単に病んでいる人を、弱者を叩く方に加担する自分がいるし。

誰でも死ぬし。

誰でも年取るし。

誰でも病気になるときゃなるし。

仲良くやっていこうや、感覚違って、喧嘩してもさ。

 

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