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人間さ。

ブログ2021.02.19

誰もが みんなが
どこにいても
だれでもが 人間さ

ガイジンじゃない ガイジンじゃない
ガイジンじゃない ガイジンじゃない
ガイジンじゃない ガイジンじゃない

人間さ

ーNHK イッセー尾形一人芝居「ワタシたちは ガイジンじゃない!」(脚本 :宮藤官九郎)よりー

色んな意見が飛び交っているのはいいことだ。

男尊女卑の国であることも判明した。

まさか!と思っていた人が多かった、それほど、差別が、人権侵害があるということさえ気づいていないほど、人権後進国であることも判明した。

2月6日の「論座」という朝日新聞のサイトで、円より子さんが「森喜朗さん、よくぞ言った 男の本音に非難続々で「男的世界」は変えられるか」というタイトルで書いている。
わたしも、よくぞ言ってくれた、と思う。
多かれ少なかれ、女性に対しての男の本音もだが、弱者に対してマウントを取る、マウント取られた人間は自分のマウント取れる人間を作り出す、そんな日本社会にある差別的な空気、閉鎖的な空気に染まっている、男だけではなく、日本人の本音が見えた気がした。

論座

森喜朗さん、よくぞ言った 男の本音に非難続々で「男的世界」は変えられるか - 円より子|論座 - 朝日新聞社の言論サイト 東京五輪パラリンピック大会組織委員会の森喜朗会長(元総理)の日本オリンピック委員会(JOC)臨時評議会(2月3日)での発webronza.asahi.com

うだうだ、自分の頭の中でも愚痴っぽくて、今ひとつ何がいいたいのかがわからない、そんなわたしなのでいつも困っているのだが、この円さんの捉え方は、わりと「そうなんですよ。そんな事が多分言いたいんですよ、わたしも」と思わせてくれた。

手放しで、そう!よくぞオレの気もちをコトバにここまで表してくれた!、というのが、先日、高知東生さんがツイートした一言。

わたしも頭の中でぼやいてしまう、言い方は違うが「めんどうくせぇなぁ」と。
昭和の常識、当り前に染まりまくっている、日本に住む、日本国籍を持つ、性別男の典型だな、わたしは。

でも、いろいろな人と話す機会をもらえているお陰で、そのマイノリティとくくられてしまう方々の細かい指摘が、今の日本には本当に必要なんだと、オレ自身にも必要なんだろと思い知らされてもいる。
だって、それがないとまったく自分がしでかしていることに気づけ無いもん。

自分が「めんどくせぇ」と思うその思考こそが、差別の根源なんだと教えてもらえている。

知らない、知っていても関係ない、それを差別と思えない、他者が傷ついているのに「たいした問題じゃないのに気にする方が」と思ってしまう、言ってしまう。
そんな、見猿・言わ猿・聞か猿、根性論、精神論、そんな状態であることこそが、日本の差別の現状を創り上げている。

根底にあるのは、わたしの差別意識だ。

いままで何回も同じようなことばかり書いているが、毎回、書かずにおれない気になるということは、自分の差別心が一向に良くなっていないのだろう。

人間でしか無いんだ。

人間である以上は、全てをランクづけて、良し悪しを量って、そこに必ず選びを持っていなければ生きていかれない。

差別が必ずあるってことだ、だれしも。

ある差別反対のデモに参加した高校生の一言が気になった。
森さんの言動について我慢できずに参加したという。
そこに気づいて行動に移すのは素晴らしい。
ただ、「ぼくはあんな事を言うことは絶対ないけど」という旨のことを言っていたと書かれていた。
記事の中のことなので、まるまるそういったわけではなかったり、勝手に言い方を書き換えられてそういうふうになってしまったのかもしれない。
ただ、その書かれていたコトバのみで判断すれば、「ぼくは絶対にそういう事は言わない」という、ぼくには差別心がないという、そんな考え方に違和感と危機感を感じた。

部落差別をしている人やヘイトデモに参加している人々にも差別している意識はない。

あそこにいる人々は、ほとんどが、自分たちこそが被害者だと思いこんでいるという。

どういう被害者なのか?
自分の生活が面白くない、お金がない、社会保障がちゃんとしていないのは、被差別者がいるからだ、ということなのだろう。
あまりに短絡的で呆れるが、日本人には多い思考だ。
妄想的な被害者意識が異常に強いというのも日本人の特色だと思っている。
東日本大震災の時も、東京都民でどれだけ被害者意識でパニックになった人が多数いたことか。わたしの周りにも結構いた。
水やインスタント食品を買いだめしまくったり、休日に遊びに行く時くらいしか乗らない車のガソリンを満タンにしたり(まだ車でどこかへ行くことはない状況下)、おかしいだろ、と言ったら、何人かにめちゃくちゃ逆ギレされて、呆れてしまったことを思い出す。

この国では人権教育、歴史的な差別教育がなされていない。
倫理だとか道徳だとかいうが、社会的な常識だのルール(その都度、場所によって、変わってしまうような)を教えているだけで、根本的な人間同士の大事を、人間同士の付き合い方を学ぶ、差別問題や、戦争問題や、人権問題は教えない。

人間はともすると差別心を顕にして、他者を迫害する、そんな危険な生き物だ。

様々なカテゴリがあり、そこに自分も所属はしているし、誰もが所属していて、それぞれに影響を受け、それぞれに価値観が違う。
その価値観を押し付け合う、戦わせ合うのではなく、理解をするのでもなく、互いの価値観からのものの捉え方を話し合って、互いに探り合っていくこと、歩み寄っていくことが大事なのだと思う。

結局はお互いさまの人間なんだ。

だから、人間同士、というところでやっていくことを忘れてはならないんだろう。

ガイジンじゃない 日本人じゃない
男じゃない 女じゃない
社長じゃない 社員じゃない
関東人じゃない 関西人じゃない
夫じゃない 妻じゃない
大人じゃない 子供じゃない
名前じゃない 名字じゃない

  人間さ。

副住職の【note】はこちら

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