NHK「バリバラ」より
障害のある人の〈ふつう〉に関する2例のビデオを見たあとでの会話。
玉木幸則:
誤解せんとってよていうのが、ヘタをすると「障害が"ある人“と"ない人“の〈ふつう〉が違っている」と見えちゃたかもしれないけれど、実は障害がある人であっても一人ひとり違うってことが〈ふつう〉やでということ。
山本シュウ:
〈ふつう〉がバラバラということで、バラバラが〈ふつう〉ということですね。
ふつう 普通
普く通じる、ってこと。
「普通はなになになのに、あんなの普通じゃない」なんて言葉が出るような普通は、そもそも普通じゃないってことだ。
普くってことは、一切漏らさず、誰においても、どこにおいても、いつでも。
ってことは、人間において個々に差別なく共通なのは「死」があるってこと。
ウィルスは人を選ばない。
これもふつうかな。
災害も人を選ばない。
ふつうは多数決じゃないんだな。
100人中99人が「これ」だといっても、ひとりでも「それはあれでしょ、ふつう」という人がいれば、どちらも普通じゃない。
だから、〈ふつう〉ってのはそれぞれバラバラだし、みんなひとりひとり個々に〈ふつう〉があって、それが隣の人の〈ふつう〉じゃないのが普通。
なのに、やっぱ「普通はこうでしょ」と考えなければ考えが進まないし、話が進められない。
わたしの〈ふつう〉を言うのはあり、押し付けなければね。
「?」をつければいいんじゃないかな、最後に。
「普通はこうなんじゃない?」って。
「え!でもこうなのが普通なんだよね、わたしにとっては・・・でも、そうかぁ、大多数の人はそうなるのが普通なのかぁ・・・」
「ま、一般論でしかないけどね、このばあいの普通は・・・だから、そうあるべきということではなくて」
「でも、そこを外して考えていたら話は一歩も前に進まないし・・・」
「だからといって、そういうのも在りだなんだろうし・・・」
「おとしどころかな・・・」
「う〜ん。。。なんか互いの譲り合い、誤魔化しでなくて、違うふつうを探す感じ?」
ま、面倒くさいし、いちいちをそれやっていたら本当に何も進まなくなってしまうから、多数決に頼らざるを得ないことも多いとは思うけど、仕事なんかはそれで仕方ないのかもしれないけど、人間関係が関わるようなばあいは、〈ふつう〉は通用しないと思っておこう。
昔、働いていた事務所には、いろんなとこから出向という形で事務員が来ていた。
で、みな、〈ふつう〉が違うから、結構、大変だった。
それも、似て非なるもの。
稟議書の書式とか、出張の際の手当の出し方、宿泊の付け方、会議の進め方、などなど、〈ふつう〉が全く違うし、それを〈ふつう〉だと思いこんでいる人間は本当に厄介だったりもした。
なんせ、わたしのように、事務だとか会社づとめだとか一度もしたことのない人間からすれば、全てが〈ふつう〉じゃないから、「いちいち面倒くせぇな〜。そんな細かいこと必要ないだろう〈ふつう〉」って感じ😅
自分の〈ふつう〉を見直してみるのもいいかもしれないなぁ。
まったく通用しないことばかりな気もする。
少しでも、もう少しだけでも、一般的な〈ふつう〉、多数決的な〈ふつう〉を分かる気があれば、友人と言える人ももう少しいたろうし、もしかしたら結婚もできていたのかもしれないぞ・・・もう少しじゃ無理だな。。。グワッと〈ふつう〉にハンドル切らにゃ無理だったろうな・・・そうなると絶対に無理だな、アタイのばやいは、ふつう。
てことは、いまのわが〈ふつう〉は成るべくしてなった〈ふつう〉であって、ま、自分には合っている〈ふつう〉であり、他者にとってはとんでもハップンドな〈ふつう〉でしかないてことだ。
それでいいんだ個々の〈ふつう〉なんてもんは。
そのていどだよ、いま〈ふつう〉と思っている互いの感覚は。
その程度でしかないんだから〈ふつう〉なんてもんに固執して惑わされんなってこと。