ものを選ぶっていうけどさ、選べんのかな、本当に大切なものって。
ドラマ「半径5メートル」の亀山宝子(永作博美)
選んで生きてる?
選んでいてるよ、いちいち。
今日もずっと選んでた、朝から。
起きて、何時に家出るかを選んで、散歩しながら何を撮るかを選んで、どの写真をUPするかを選んで、どの言葉にするか選んで、衣を夏物に変えるか変えないか(変えなかった)を選んで、どの道を通っていくかをつどつど選んで、法話でもいちいちどう展開して何を話すかを選びながら話して、昼にコンビニで何を食べるかを選んで、水にするかお茶にするかを選んで、帰りの道もどの道を使うか選んで、寺に戻ってから何から形付けるか選んで、いままさに何を書くか選んでいる。
覚えているだけでもこんだけは最低選んでいる。
たぶん、気づかないところでひたすら選びまくって生きているんだろうな。
じゃぁ、たったひとつ、本当に大切なもって選べんのかな?
その都度その都度変わるよ。
腹減っていれば、それこそ何日も食べていなければ食物だろうし、砂漠のようなところでは水、宇宙にでたり水中だったら酸素。
ま、そこまで命に関わることは置いておいて、じゃぁ、残りの人生、選ばなかったものも含めて全部あってもいいのだけれど、本当に大切なものを選んで教えて?と問われても、やっぱ絞りきれないと思う。
もっといえば、そこまで大切なものがあるのか?と自分に問う、10個でも20個でもいいから、これは大切なんだ!と言えるものがお前にあるのかと自問自答。
そうすると、わたしの場合はみな漠然と大切なんだけど、なくては困るんだけど、でも、「これとあれとそれは絶対に大切だぁ〜!」と主張するようなものすらないような気がする。
良く言えば、というか、友達なんかとくだらない戯言としてい言い合う場であったなら、「オレは全て平等に大切なの。ぼくは、ほら何でも平等に見れる人だから😆」なんてことは言えるが、結局なんに対しても、こだわりすらないって感じのようだ。
こだわりがないのではないな、己のこだわりが解ってない、こだわりが見えていない、己がないのだろう。(無我とは違います)
だから選びがその場しのぎ、場当たり的でしかない。
まるでどこかの総理大臣のようだ😱
そうかぁ〜、やっぱ、オレはあいつと変わらなかったのかぁ😭
もとい。
人間は「選び」がなくは生きられない。
それなら、ちゃんと選び、その選びをしっかり受け止め、良し悪し関わらず選びの結果で選んだことをなかったことにすることなく、選んだ事実を受け止めていくっきゃないようだ。
選んで、大事にとっておく。
必要なしと捨てるものを選ぶ。
常に、選んでいる、気づかないうちに。
気づいって選んでいるもんなんてほんの一部のようだ。
そんな全ての中から大切なものを探すのも、大変そうだけど、悩ましいけど、そこで選びという分別心・差別心が起きるのだけれど、いいかもしれない。
選びには必ず選ばれなかったものの涙が付いてくる。
選んだとき、たまには選ばれなかった涙にも気付けたらいいな。
さぁ、コーヒーを買いに行こう。
ホットにするかアイスにするか、コーヒーやめてタピオカドリンクにするか、なんにするか、選びがきた。