生き物が繁栄することができるのは、「強いものが生き残ってきたから」と考えがちです。
強いものは、その環境のなかで、一番エサを確保しやすい場所を縄張りにします。
しかし、環境が変化したら……。
強いものは、最後の獲物がいなくなるまで、その場に執着して死んでいくでしょう。
坂東元
国税庁が「居酒屋に酒を卸すな!」と酒屋に言ったそうな。
国税庁は酒の販売に関する許可をどうこうできるそうな。
そんでもって、酒屋さんたちも困ってしまっているとか。
居酒屋さんももちろん困ってしまっている。
禁酒法がひどいことになってんな。
西村という大臣だけではなく、実は金融機関への圧は政府の方針だったこともバレてきて、当然、国税庁は政府に言われて動いているんだろうな。
安直な、頭のよろしくないわたしののようなもんは、居酒屋さんは店先に「当店の酒類をはじめとるするドリンク類は〇〇酒店から納めていますんで、品質に自信があります!」的な、品質保証モンクを張り出しておいて、客は「〇〇酒店」で酒を買って持ち込む、店は席料とグラスやアイスのセット料金を取る、なんてのはどうなのかな?あまりにも国にいじめられてヤバいのなら。。。なんて、安直に考えてしまったりする。
さすがに、飲食店、特に居酒屋などの酒を飲ませてナンボの店を標的にし過ぎだし、ついには国権を使って脅しだしたしね。
好き勝手を政府に許すのは、暴走を擁護するようなもんでしょ。
ま、酒持ち込み案はまってく我ながら稚拙だし、何も生み出せないと思うので捨てておくとして、そろそろ、もう少しみんな怒っていいんじゃないかな、とは思う。
権力を弱者を叩くことに向けられているのが今の日本だ。
それならば、弱者は権力を棄てるのが一番だろう。
一番、手っ取り早いのは選挙に行って、NO!を突きつけることだが、この国の民にはそのきがあまりない。
すぐに権力になびき、権力に庇護されることを望み、権力の言いなりでしっぽを振ることを良しとしている。
それえなら、何か他に手はないものかな、と、よせばいいのにまたない頭を使って考えてみる。
自分にできること。。。
ま、なるべく買い物を減らして、金は使わないようにとうぶんする。
消費税収入を減らすために。
でも、そうなると、国にいじめられている居酒屋や酒屋に協力ができないことにもなるしなぁ。
あちら立てればこちら立たずだな。。。
難しいなぁ。
ただ、政府やら高官やら一部の起業家やらは気づいていないだろうが、もうすぐみんな生活できなくなって、そこらじゅう困窮者だらけになって、国という形態もあやふやになって、治安も悪化して、世界中からも目をつけられるような不良国家っとなって、最期にそこで地獄を見るのはいま権力の座についている人間たちだ、ってこと。
だって、たぶんそんなとこに、みんな、いたくないだろうから、いる必要もなくなるだろうから、どんどん海外へ出ていくでしょ、これからの先のある若い方々は。
俺ら年寄世代はあのクソ政府ととことん付き合っていかにゃならんけど。
ま、そりゃ、こんなんになるまでほったらかして、好き放題やらせてきたおれらの自業自得ってやつだから、しっかりとうけいれましょう。
よし!
やることは、彼らにものを考える力を与えないことだな!
文句は言うし、何らかの運動はするにしても、彼らが「これはどうにかしなければ」と脳みそを使うことを覚えることの無いよう、税金も納めて、年金も納めて、出来得る限り普通に生活するようにして、油断をさせておこう。
気がついたら、日本、昭和しかいない!、って感じになっていて、「どうしよう!」と思ったときには、いよいよ彼らの居場所はそこしかなく、年貢を納める人もいなくなり、周りは敵国だらけで、日本国総理大臣は米国大統領が任命する、なんて感じになっている。
任命されるのは、米国でなんかやらかした左遷されるような人間。その下に彼らはいることになる。
そして彼らを支えてきた国民という人間はいなくなっている。
そんな感じ。
くだらない愚にもつかない話しはもういいや😅
自分が権力のある、強い立場にある時こそ、そのことをきちっと責任と受け止めて、それによって自然と発生する特権を自身が熟知し、決して特権を行使して自分より弱者と思われる人を貶めることのないように努めねばならない。
このことは常に自分言い聞かせておかなければ。
なぜなら、基本、強い立場に成れば、いつでも気を抜けばその場の弱者を貶めてしまうような自分であるから。
そしてそれに気づけない自分でもある、やっているときは。
その逆に、自分が弱い立場のとき、相手がいかにもこちらの気持ちを分かった風に「仲間じゃん」とか余裕ぶっこいて近づいてくる。そうされることですら弱い立場にあるときは、相手に少しでも憐憫の念が垣間見られればたまらなく蔑まされているように感じる。
どちらの立場にもなったことがある、些細な状況でだが。
わたしの場合は、どちらの場合も、相手の気持をちゃんと見ようと、声を聞こうとしていなかったな。
ともかくさ、一等賞は一人では成り立たない、強者は弱者がいて、勝者は敗者がいて初めて成り立つ。
強い立場で弱い立場の人間を締め付ける、勝ったものが負けたものを蔑むというのは、とんでもない愚の骨頂でしかない。
じゃ、両方、勝者!て、話ではない。
我々の社会は、人間の作り出す世界は、必ず相対するものが在って成り立っているということだ。
相対するものがなければ、なにもない。
先生には生徒が、生徒には先生が必要だ。
わたしにはあなたが、あなたにはわたしが必要だ。
親には子が、子には親が必要だ。
先生だけで生徒がいなければ、彼は先生ではいられない。
わたしだけでだれもいなければ、わたしはわたしという自意識は生まれない。
親は子ができて親という立場にはじめてなれる。
一人でシャドウボクシングをしていても勝者にはなれない。
うまくいえないが、できる限り存在否定に繋がるようなこと、潰すようなことはやめましょう、ということだ、互いに。