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無所有に成れないからこそ

ブログ2021.09.17

想像してごらん 国家なんて存在しないと
そして宗教もないと

想像してごらん 
 所有物なんて存在しないと

       ジョン・レノン

9.11同時多発テロから20年が経った。

何も変わらない。
いや、ますます、人間は愚かしくなり、暴力で、殺戮で、憎しみ合うことで、自分の欲望を叶えることで平和が来ると思いこんでいる。

懺悔どころか、歎異どころか、悲嘆どころか、反省すらできない。
正義であることを互いに主張し、人を殺してまで領土と金と地位にしがみつく。

未だに殺戮兵器を持てば平和が訪れると思い込んでいる。

報復という名の無差別殺人をなんとも思わず続けている。

欧米や中東の問題ではない。
日本がまさにその中にあり、率先して仲間に加わり、後方支援をしている。

9.11のあとも、報復を理由にますます湾岸戦争へ前のめりに成る米国に対して、日本は賛同の意を示すという形で援護した。
基地の提供、武器の提供、賛同、米国の報復空爆の支持・擁護。

子供が赤ん坊が妊婦が動植物が無差別に殺されていくのを「しようがによね」と擁護した。
日本国政府に至っては「米軍は間違ってはいない」と擁護した。
その政府を国民は支持した。

そして、未だに軍備拡張を願っている政府を応援している。
いけしゃあしゃあと「軍備拡張」を唱える高市早苗なんてのをありがたがり、それを応援する安倍晋三なんてのを未だに持ち上げる政府与党にマスコミ。
それを疑問に思わない国民。

愚かなんてきれいな言葉では表せられない、どうしようもない救いようのないバカばっかっだ。

「想像してごらん」

そう言葉を掛けられた時、自分が被害者に成ることしか想像できない人間だらけだ。
被害者意識だけで、決して自分が加害者たることを想像できない。

この「imagine」で、ジョン・レノンは「宗教もない」と唄っている。

で、宗教家の端くれとしてこの言葉に反感はないのかと問われたとしたら、まったくない、と答えられる。

彼がこの歌で挙げている「天国・地獄・国・宗教・所有物」というものは、カテゴリのことであり、壁・バリアのことであると受け止める。

もともと、釈迦が説いた「ほんとうのところ」「真実」「真理」は「無我」「空」「無」だ。
そして、その無いものをあると思いこんで争っているのが「愚か者よ」と釈迦が呼びかけた「人間」という生物だ。

そこから考えれば、いま世界中で受け止められている「宗教」というカテゴリ、争いのもととも成りうる「おらが宗教」なんてものはない。
つまり、キリスト教・イスラム・仏教などなど、そこに属してカテゴライズして、他を否定するようであるならば、その「宗教」は「ほんとう」を説くものではなく、ただ、自分たちの良いように勝手に解釈して、やりたいようにキリストやムハンマドや釈迦の説いた教えを曲解・歪曲して利用しているに過ぎない。
少なくとも、釈迦は仏教教団を作ってはいない。
仏教は釈迦滅後に出来上がった宗教教団だ。
釈迦は、ただひたすら、その出会った人に「ほんとうのところ」「真実」を説いて歩いた。

「ほんとうのところ」は時・場所・人が変わろうが、「いつでも・どこでも・だれにでも」当てはまる、変わることのない真理をいう。

仏教で、少なくとも親鸞が伝えた釈迦の説いた教え「真宗」で言うところの「宗教」は、教団でもなく、宗派でもなく、釈迦でもない。
ましてや親鸞でもない。

「宗」は「ムネ」。
「棟」、建物の芯となるもの。
「旨」、話・物語・思想の芯となるもの。
「心」、これもムネと読む。人間の芯となるもの。

「ムネ」がブレれば、教えも建物も思考も人間性もブレまくる。
「ムネ」が微動だともしなければ、たとえ、教えを曲解してしまっても、外壁が壊れても、何がなんだかわからなくなってきても、人間同士すれ違いだしても、必ず修正が効く。

真宗でいうところの「宗教」は、既存の「宗教教団」でも、浄土真宗でも、釈迦でも親鸞でもなく、あくまで「ほんとうのところ」ってやつだ。

そこからいつも物事を考えると、なんとも愚かしい自分が見えてくる。

そして人間である以上は、国や宗教、男や女、わたしやあなた。そんなカテゴリを外すことはできないことに気づく。

だからこそ、想像力をもって、「もしこのカテゴリを外すことができ得たとすれば」という想像力をもって、いま・ここ・わたしというものを見据えていかねばならない。

武装兵器を大量に用意すれば平和に成るのであれば、とうに世界中から戦争や殺戮はなくなっているはずだ。
未だに無くならないどころか、ますます世界は不安と恐怖に支配されてきている。
互いに憎しみ合い、正義を主張しあい、敵対し、信用できなくなってきている。

平和に成るわけがない。

想像してみよう。

日本にも、日常、そこら中に拳銃を持った人間が歩いているよね。
警察官、お巡りさんだ。
彼らは、拳銃を腰に常備している。
若い頃、けっこう、何かと職務質問というのに合った。
自転車乗っていたり、繁華街を歩いていたりして。
で、若気の至りというか、アホなわたしは、その都度、お巡りさんに歯向かって、絡んで、文句垂れて、抵抗していた。暴言も吐いたこともある。
今から考えると怖いよね。
彼らが、本当に理性的で、いい人だったから良かったけれど、ピストルで撃ち殺されていても、殺されなくとも腕や足を撃ち抜かれていたかもしれない、なんか琴線に触れて、「こいつ許せねぇ、もうどうでもいいからこいつを・・・」なんて思う人がいたら。
そんな想像力もなかった。
赤塚不二夫の漫画に登場した「目ン玉つながりのおまわりさん」。
あれをただ面白がって、赤塚不二夫っておもろいおっちゃんだな、くらいにしか見ていなかったけど、ありゃ、とてつもない風刺だったんだとね、警察に対する、国家権力に対する。
あんな、少しでもムカついたら拳銃を乱射するようなお巡りさんがいたらどうするよ?
アメリカの警官がアフリカ系の人に集団暴行を加えて殺したり、怪我をさせたりしているし、日本でも、警官ではないけれど入管の人間が外国人の人々に暴行、虐待をしている。
「目ン玉つながりのおまわりさん」、現れてもおかしくないよね。

話がひん曲がってきている。

前にも書いたが、武器にはもれなく恐怖が付いてくる。
だから、ちょっとした事象や言葉がきっかけでその武器を使ってしまう。

「トリック・オア・トリート」と訪ねっていっただけで相手は恐怖を覚え銃爪を引いた。

戦闘地域に駆り出されて、物陰からでてきただけの子供に思わず銃口を向けて銃爪を引く。

武器を持って平和はありえない。
武装兵器は直ちに排除するようにしよう、と、思えない人間の愚かさだ。

これをいうと屁理屈をこねるやつが出てくる。

攻め込まれたらどうするんだ!

と、声高に騒ぎ立てる。
ほら、恐怖に駆られてんじゃん。
軍備整えて全く安心してないじゃん。
「相手はもっとすごい兵器を持っているかも・・・😨」って。

9.11のテロが起きた際、米国と英国では「imagine」が放送禁止曲という措置が取られた。

そして、多くの人がその措置に一応の納得をしていたのだろう。

そんな中、テロ直後の9.21に行われた犠牲者の追悼コンサートで、ニール・ヤングが「imagine」を唄ったのは有名な話だ。
多くの人間が、「平和を手にするために必要なのは報復ではない」ということに気付かされたと聞く。

どうなりたいんだ?

喧嘩が、殺し合いが、殺戮がしたいのか?

オレはゴメンだね、どんなに気に入らないやつであろうが、殺し合うなんてことは、傷つけ合うなんてことは、できうることなら避けて生きていたい。

ほっといても、
国・宗教・所有物、自我をなくすことができずに、縁さえ整えば何をしでかすかわからないわたしであるのだから、自らその縁を作り出すような愚行は避けていくことが賢明に思う。

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