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生死を超える智慧

ブログ2020.11.06

死は一般的なものである。
生は特殊的なものである。

          三木清

死は万人が手に入れるこよができるもの。
生は万人が手放さねばならないもの。

死は約束されている未来。
生は不確定な未来。

死はここからさき・・・未来。
生はここからまえ・・・過去。

死は生によって成立する。
生は死によって終結する。

いま現在、生息しているものに、平等に与えられるものが死。
いま現在、生息しているものに、必ずしも生は一秒後にあるかというとそうはいかない。

生は奇跡。
死は事実。

バラバラに考えるからこんなことになる。

生も死も単一では存続しない。

生があることは死がある。

死をもって生は証拠付けられる。

失うことが約束されているから、生は大事にされる。
誰でも手に入れることができ、欲しくなくてもむりくりにでも押し付けられるから、死は嫌われる。

同じ、今のわたしの持ち物なのに。

生は自分の所有物であると錯覚し、死は持っていないと錯覚している。

生は与えられたものであり、死によって返すものである。

だから預かっている以上は大事にせにゃ。

「生」と「死」を立てに書いて、「合体!」させて、「いのち」と読ませる方がいる。
なるへそと思った。
言われりゃ簡単なことだが、こんな文字は気が付かなかった。

スクリーンショット 2020-11-05 15.41.48

                           By 武田定光

生と死をバラすと、生は先がなく不安で死は台無しにするから不安。
そんな不安定なものになる。

一緒にすれば、必然であり、事実である。

いのちは過去・現在・未来を結ぶ。
いのちはこことあそこを結ぶ。
いのちは一切の事象を結ぶ。
個での成立はなく、連鎖である。
唯一無二であり、一緒でもある。

特殊だけれど、みなが保有するもの。

おもしろい。
面倒くさいだけに、このいのち、ますますおもしろい。

この武田定光さんが作った文字、
「きずな(きずな)」「えん(縁)」「ごう(業)」「しゅくめい(宿命)」
こんな読み方をしてもいいかも、なんて思えた。

うん。
今日は、三木清さんの言葉に、ずっと悩まされている。
なんじゃ?って。

写真を撮るよになったのが8年前の今頃。
何を撮っていいのかわからなくて、落ち葉や枯れ葉や紅葉している葉、葉っぱばかり撮っていた。

落ち葉、枯れ葉を見て、死を感じることはなかった。
生を感じる。

桜の季節、咲き誇る桜を見て死を感じた。
散りゆく桜を見て生を感じた。

ふと思い出した蛇足。

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