人間は世界から作られ、作られたものでありながら独立なものとして、逆に世界を作ってゆく。
我々の行為は我々自身から起ると同時に世界から起るのである。
三木清
76年前、世界で初めて原子力爆弾が広島に投下された。
史上、もっとも酷い、人間が犯した無慈悲で残虐な大量殺人、人だけではない、生きとし生けるものを無差別に殺戮した行為だ。
日本政府が意地でも参加を拒否している核兵器禁止条約が施行され最初の原爆の日、日本国営放送NHKは五輪に忙しく「特集番組」の放送をしない。
いかにも現政府と見ている方向が似ている。
命よりも大事な五輪。
平和の祭典は、平和を拒否する人間たちによって捻じ曲げられ、アスリートはいいように宣伝材料として消費され、ついには核廃絶、戦争廃絶の願いすらも無視させた。
菅義偉内閣総理大臣は、式典挨拶で、「世界唯一の被爆国」「核兵器のない世界の実現」といった文言を読み飛ばした。
わざとじゃねぇのか?
そんな見方をしてしまう、わたしは。
彼が、書いたものを読むことしかできなくて、能力のない首相であることは知っているつもりだが、安倍晋三前総理の流れをそのまま受け継いだ彼なら、核兵器禁止条約なんて以ての外だろうし、核廃絶・軍縮なんてありえないと思っていたとしても不思議ではない。
そんな、菅義偉は意識的にか無意識でかはわからないが、「被爆国」「核兵器のない世界」という言葉を読むことを拒否したんじゃね?
そんなふうにも思えてしまう。
それほど現在の政治屋さんたちは、ほとんどが、国民の命よりも金、国民の命よりも権力、国民に命を懸けさせて自分の居場所を守らせることしか考えていない。
キミらが後生大事にしている、金・権力・地位・名声・名誉というものは民がなくては成り立たないんだよ。
貧乏人がいてはじめて金持ちができる。
権力を振るう、権力を使える対象者がなければ、権力は成り立たない。
社会の声を無視し続けている現在の政府であり、東京都であり、大企業であり、日本国営放送などなどは、社会を無視している現時点では不要の長物でしかない。
コロナ対策だけではなく、ついには被爆への願いをも邪魔をした「東京五輪」は、わたしにとっては平和な社会生活を壊す元凶でしかない。
五輪開催という人災を、開催に反対してようが賛成してようが、個々が反省し、慚愧し、懺悔しなければ、日本には平和は来ない。
単独ではありえない。
一切は、時間も空間も超越して繋がっている。