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贅沢(ぴーなっつぺーすと&パンケーキ)

ブログ2021.03.12

私達はああなりたい、こうなりたいというわけですが、本当はどうなりたいのかという根本の願いがはっきりしていない。
私達は自分のなりたいもの、欲しいものを手に入れても、また飽きるということがあります。
結局は根本の願い、「どうなれば満足できるか」ということが分からない。

             一楽 真

先日、裕木奈江さんがツイッターで「あなたにとっての究極の贅沢はなに?」という問いかけをされていた。

初めて、人様のTweetに書き込みをしてみよう!と、考えてみた。

全身のマッサージ!

いや、

温泉旅行!

いや、

自分の意に沿う人間だらけの宴会!

いや、違う。
色々と浮かぶ。
時間、休み、家、車、金、etc...

全部違う。

贅沢・・・。
わたしの勝手な決め込み。
贅沢は
無意味
無駄
不要
そうしたもので、一瞬の満足を叶えるものであり、そこに究極とつくということは、
「あぁ〜、馬鹿したなぁ〜。無駄な時間を無意味に過ごしちゃったなぁ〜\(^o^)/」と、おもいだすたびに笑顔になれる、満足に、都度都度、戻らせてくれるようなもんでないとな。

思い浮かぶのは、不要ではなくて必要なもんばっか。
意味付けはなくなんてありえない。
それがいちばん大事なんだ、意味があるかないかが。
だから無駄なわけがない。
だからこそ満足できる!と、勘違いしている。

必要で意味があるものを手に入れて満足はするかというと、そこからより欲が湧き出し、重ねて意味を欲しがり、それを保持しなければならない。
故に、満足はない。

う〜ん。。。むつかしい・・・、

こんな面倒くさい考え方をすること自体が無駄なのだと思う。

素直に、これ!でいいんだろうな、本当は。

それが、結果、無駄で無意味で不要なものであり、でもその瞬間は何よりも大事なもの=贅沢なんだろうな、きっと。

てことはだ、自分のようなクソツマラナイ性格の人間は究極の贅沢が見つけられんのかもしれん😭

結局なんも書き込めなかった。

後付で、ありゃ贅沢な時間だったなぁ、と思えるのはあるよね。

学生時代、演劇をやっていたあの時間や作った作品やなんやかんやは贅沢だったな。

なんか今から考えると意味なく、無駄な時間だったのよ。
言い方悪いけど、そこに意味なんてクソつまらんことは考えてなかったし、金と時間が掛かるだけでなんの社会的な得はないし、でも掛け替えのない時間だった。

あと、高校の時から30過ぎまでやってたトレーニング。
ほんとに、唯一意味付けとしていた野球も中学でやめて、身体を鍛えたいとか、マッチョになりたいとか、早く走れるようになりたいとか、芝居をするのに体力が、とか、一切関係なかったし。逆にそこに意味づけしようとすると、やる気が失せて、トレーニングを一時やめたりするくらい、無意味に、無駄に、毎日2〜3時間、走ったり、スクワットしたり、腕立て伏せに腹筋やったり、体幹用のローラーやったりしてた。
ありゃ、贅沢ちゃ〜贅沢なのかもしれない。

で、いまは?と問われると・・・。

一つ、もしかしたら?って、思い至るのは、毎朝写真を撮り歩いているのは贅沢なのかもしれない。
別に誰かに強いられたわけでもないし、やめたきゃやめれるし、良い写真が撮れるわけでもないし、でも時々自己満足だけど良い写真が撮れちゃうし、雨だの雪だのの中「こんな日こそ日頃と違うものが!」なんて意気込んで出かけていき、ずぶ濡れになっただけなんてこともあるし・・・。

う〜ん。。。贅沢なんかなぁ〜。
自分ではまだそんなふうには思えないんだよなぁ。

てことは、いまのところは、素直に贅沢ではないとしておこう。

この裕木奈江さんの質問は、相田みつをさんの「ある日自分へ」という詩に共通するように思える。

ある日自分へ   相田みつを

おまえさんな
いま一体何が
一番欲しい
あれもこれもじゃ
だめだよ
いのちがけで
ほしいものを
ただ一ツに的を
しぼって
言ってみな

究極の贅沢

一番欲しいもの

これを見つけるために生きているんだろうな。

あれやこれや欲しがって、贅沢に贅沢を積み重ねて、
「あぁ〜、これが欲しいもんだったんだ。なんて贅沢な自分なんだろう」
ってとこに合点がいき落ち着ける。

それが一番の究極の贅沢なんだろうけど、観念、理念では。

でもさ、

いま、いちばんなにがほしい?

どんな贅沢がしたい?

と、問われて、

これ!

って、とっさに答えが出ないってのは何とも残念で成らない。

つまんねぇ今を生きてんなぁ〜、って、猛省。

もったいないよね。

たぶん素直じゃないんだな。

子供に問えば、スッと答えてくれそうじゃない、こういうのって。

「いま、何が一番欲しい?」
「わんちゃん」
「ねこちゃん」
「ドーナツ」
「ゲーム」
「弟」

そんな答えが、素直に出てきて、たぶんそれは瞬間、本当に欲しいものでしょ。

それが出せない。

情けないったらありゃしない。
欲かき過ぎなんだろうな。

その瞬間ですら一つに絞れないんだな。

ラーメン!
いや、うどんもいいしな。。。生姜焼きも。。。

そんな感じだ。

で、これを打っていて、少しは素直にいまこの瞬間だけで、究極でなくてもいいから、って感じで考えてみると、やっぱ、休暇だな、ほんとうの意味での、好き勝手できる時間・日が欲しい。

でも、上記を打ちながら、また思う。
日・時間があっても、それを楽しく過ごすためには安心して使えるだけの予算、金がなきゃなぁ〜、、、無為な時間を過ごすだけになっちゃうし。。。

という否定が浮かび、いま打ち消しがはじまる。

だ・か・ら!無為・無駄・無意味でいいの!贅沢なんだ!

でも、贅沢にしても、贅沢を贅沢に過ごす、贅沢を贅沢と感じるための条件ってもんも必要じゃん!

そうなったら、条件が整わないと贅沢に成らないのなら、どこまでいっても贅沢にはならん!

でも・・・

そんな、事の繰り返しだぜ。

ちょいと、この問題は、宿題として、当分の間、暇な時に考えてみよっと。

さ、今日の贅沢をしよっと。
パンケーキにピーナッツペーストをベッタリと塗りたくって食ってやる!😆!

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