宝住寺は、室町時代の1508年に将軍の足利義澄の家臣などにより、「法住院」として建立。のちに現地に移され、寺名も「法住寺」と改められた。ご本尊の千手観音菩薩像は重要文化財。平安時代作、一木造、像高168cm。観音様の命日(18日)にちなみ、毎月前日の17日に縁日が催され、その日のみ千手観音が公開される。宝髪に群青、唇に朱、目や眉などは墨が塗られる以外は、素地仕上げ。衣には、截金文様が施されている美しい仏像。本堂向って左の観音堂(大悲殿)の奥の収蔵庫の中に安置されている。この仏像は、元からこの寺の仏像ではなかった。伊勢通いの船乗りの唐左衛門が、廃仏毀釈で伊勢宇治山田の「上善寺」に祀られていた仏像が海に流されようとしているところに偶然出くわし、4体の仏像を譲り受けた。唐左衛門は家に安置してお祀りしようとしたが大きすぎたため、千手観音は法住寺に運びこんでお祀りするようにお願いしたのだそう。苦難を乗り越え、今も信仰されている素敵な仏像だ。