東京都青梅市の「即清寺」。伝説では平安時代の初めに、弘法大師の甥の智証大師・円珍が諸国巡礼の際にこの寺の裏山に不空羂索明王像を祀ったことが始まりとされる。鎌倉時代にその不空羂索明王の霊験を聞きつけた、源頼朝公が畠山重忠公に命じて、現在地に伽藍を築かせた。寺号の即清寺は、畠山重忠公の戒名「勇讃即清大禅定門」から名づけられた。室町時代に入ると、高野山で弘法大師の再来といわれた学僧、印融法印を中興住職に迎え、寺は栄えた。火災で伽藍は焼失したが、仏像は救い出された。即清寺の本尊の「不空羂索明王」は、怒った顔で額にも目があり、三面で、腕は4本。手にはそれぞれ斧、羂索、三叉戟、宝剣を持つ。頭上には、大きな阿弥陀像が乗るという他では見たことないお姿。不空羂索観音が明王に変化した仏さまで、観音菩薩の慈悲と明王の諸魔降伏の力を併せ持つとされる。仏像では、即清寺の像が唯一だそう。ご開帳は、年末年始、7月のお盆の期間、10月の第1日曜日。
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